博愛という言葉を、毎日のように聞かされていた。
澄みきった広大な湖のすぐそばで城は湖面にその姿を映し、威風堂々とそびえ立つ。湖上の城というのがこのクーデルライト城の通称だ。
城は四棟から成る。総じて優美だが、城の顔とも言うべき中央棟は特に、外壁や屋根に金銀の細かな装飾が施された絢爛豪華な造りである。
クーデルライト国の第一王太子、サディアスはその華やかな中央棟で暮らしていた。彼は今年で十八歳になる。
公務――城を訪れる賓客との対面――を終えたサディアスは表情を無にして中央棟の廊下を歩いていた。
訪ねてきた賓客のだれとも、掘り下げた話はしない。当たり障りのない会話をして、終わりだ。
王族には古≪いにしえ≫より博愛主義が根づいている。
なににも執着してはいけない。あらゆること、ものに平等であれと、サディアスは幼少期から厳しく教育されてきた。
贔屓≪ひいき≫や執着は憎悪と抗争を生む。
そこでサディアスは何事に対しても無関心を装っている。興味のある話題にも気のないふりをする。
慣れれば造作もないことだが、本音を言えないこの生活を苦に思う日もある。そんなときは、プライベート・ガーデンで密かに飼っている猫を相手に愚痴を言う。
サディアスは他のだれも立ち入ることのない自身の専用庭で、生まれて間もない子猫を抱え上げた。
この庭は背の高い木々と、それからいくつもの生垣に囲まれた閉鎖的な空間だ。城の者は皆ここへは立ち入ってはいけないと知っているから、安心して猫と戯れることができる。
「今日は、にゃんだか疲れたにゃー」
こんな冗談を言える人間の相手がいないことが時々、物悲しくなる。
カサッ、という葉の擦れる音がした。
「――っ、だれだ」
サディアスは猫を抱えたまま音がしたほうを振り返る。
木の茂みがガザガザと動いて、現れたのは少女だった。
「アリア・ロイドでございます」
少女はかすかな笑みをたたえていた。
「きみは、パトリックの……」
少女は「はい、妹です」と言いながらうなずく。
(いまの独り言……聞かれただろうか)
サディアスはコホンと咳払いをしてから話しはじめる。
「なぜ、ここに?」
「お兄様を訪ねた帰りなのですが、迷ってしまって……。このお庭は、もしかして――」
「俺以外の者は立ち入ることができない」
アリアは微笑したまま青ざめる。
「も、申し訳ございませんでした。失礼いたします。ここへ来たことや、殿下とお会いしたこと――いましがた見たことは、絶対にだれにも言いません」
青い顔で引きつった笑みを浮かべ、アリアはたどたどしくレディのお辞儀をした。
前 へ
目 次
次 へ
澄みきった広大な湖のすぐそばで城は湖面にその姿を映し、威風堂々とそびえ立つ。湖上の城というのがこのクーデルライト城の通称だ。
城は四棟から成る。総じて優美だが、城の顔とも言うべき中央棟は特に、外壁や屋根に金銀の細かな装飾が施された絢爛豪華な造りである。
クーデルライト国の第一王太子、サディアスはその華やかな中央棟で暮らしていた。彼は今年で十八歳になる。
公務――城を訪れる賓客との対面――を終えたサディアスは表情を無にして中央棟の廊下を歩いていた。
訪ねてきた賓客のだれとも、掘り下げた話はしない。当たり障りのない会話をして、終わりだ。
王族には古≪いにしえ≫より博愛主義が根づいている。
なににも執着してはいけない。あらゆること、ものに平等であれと、サディアスは幼少期から厳しく教育されてきた。
贔屓≪ひいき≫や執着は憎悪と抗争を生む。
そこでサディアスは何事に対しても無関心を装っている。興味のある話題にも気のないふりをする。
慣れれば造作もないことだが、本音を言えないこの生活を苦に思う日もある。そんなときは、プライベート・ガーデンで密かに飼っている猫を相手に愚痴を言う。
サディアスは他のだれも立ち入ることのない自身の専用庭で、生まれて間もない子猫を抱え上げた。
この庭は背の高い木々と、それからいくつもの生垣に囲まれた閉鎖的な空間だ。城の者は皆ここへは立ち入ってはいけないと知っているから、安心して猫と戯れることができる。
「今日は、にゃんだか疲れたにゃー」
こんな冗談を言える人間の相手がいないことが時々、物悲しくなる。
カサッ、という葉の擦れる音がした。
「――っ、だれだ」
サディアスは猫を抱えたまま音がしたほうを振り返る。
木の茂みがガザガザと動いて、現れたのは少女だった。
「アリア・ロイドでございます」
少女はかすかな笑みをたたえていた。
「きみは、パトリックの……」
少女は「はい、妹です」と言いながらうなずく。
(いまの独り言……聞かれただろうか)
サディアスはコホンと咳払いをしてから話しはじめる。
「なぜ、ここに?」
「お兄様を訪ねた帰りなのですが、迷ってしまって……。このお庭は、もしかして――」
「俺以外の者は立ち入ることができない」
アリアは微笑したまま青ざめる。
「も、申し訳ございませんでした。失礼いたします。ここへ来たことや、殿下とお会いしたこと――いましがた見たことは、絶対にだれにも言いません」
青い顔で引きつった笑みを浮かべ、アリアはたどたどしくレディのお辞儀をした。