氷の王子は花の微笑みに弱い 《 第二章 02


「ふふ……やっぱり、ひとりで来たわね」

 ふだんはとても目立つ色のドレスを着ているシンディだが、今日はどうしてか暗い色合いのものだった。雨で陽射しはないというのに帽子を被っている。遠くから見れば彼女がシンディだとはだれも気がつかないかもしれない。
 シンディは冷笑を浮かべ、階段の上からこちらを見下ろしている。彼女がゆっくりと下りてくる。

「乗りなさい」
「えっ?」

 腕をつかまれ、無理やり馬車に乗せられる。いや、馬車に詰め込まれたというほうがきっと正しい。
 シンディは雨に濡れるのもかまわず馬車の入り口に立ち、帽子の奥で笑みを深くした。
 彼女が声を潜める。

「私、氷の王子様の愛妾になれないかしらって思ってるの。あぁもちろん、正妃になりたいだなんておこがましいことは考えていないわ」

 アリアは開いた口が塞がらなかった。驚きのあまり声が出ない。唖然としたまま数秒が過ぎる。返す言葉がひとつも見つからない。

「でもねぇ……もしあなたが王子様の正妃になったら、私が愛妾だなんて悔しいじゃない? だから、邪魔なあなたには早々にご退場願おうってわけ」

 バタンッ、と馬車の扉が閉まる。アリアはあわてて扉を開けようとしたが、びくともしなかった。どうやら外から鍵を掛けられた。

『出してちょうだい!』

 馬車の外からシンディの甲高い声が響くと、馬車がすさまじい勢いで動き出したのでアリアはよろけて尻もちをついた。

「出して欲しいのは、私のほうよ……! ここから、出して」

 アリアはわなわなと唇を震わせて叫ぶ。

「馬車を止めてください、お願いします!」

 御者に向かって呼びかけるものの返事はなく、馬車はまったく止まる気配がなかった。
 それでもアリアは大声で呼びかけ、両手でドンドンッと馬車の壁を叩いた。幾度となくそうした。しかし御者からはなんの言葉も返ってこなかった。御者は存在しているのだろうかと疑ってしまうほど、沈黙を貫いている。

「ねえ……聞こえないの?」

 もしくは、シンディに「なにも答えてはいけない」と言いつけられているのかもしれない。
 アリアは愕然としてうなだれる。喉と両手が痛い。

(そんな……なんてこと! この馬車は……いったいどこへ向かっているの?)

 進んでいるのはおそらく田舎道だ。本通りならばこのような速度では走れない。馬車の窓は外側から塞がれているので、この馬車がどこへ向かってひた走っているのか景色を見て確認することはできなかった。
 アリアはよろよろと立ち上がり、座席に腰かけて手の甲で額の汗を拭った。
 窓のない閉鎖的な空間で、馬の蹄や車輪が地を這う音、激しい雨音を聞きながら呆然とする。
 どれだけそうしていたことだろう。

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