それに、帰りたくても手段がない。王都まで歩いていたら何日かかるかわからないし、馬車を使おうにも手持ちの金がない。
(伯爵は、執務が立て込んでいると言っていたわね……)
このぶんでは今日じゅうに王とへ帰るのは難しそうだ。
陽が暮れた頃、レヴィン伯爵が部屋を訪ねてきた。
「ようこそ我が邸へ、レディ・ロイド。挨拶が遅れて済まなかった」
レヴィン伯爵は想像していたよりも若々しい男性だった。
「お招きいただきありがとうございます」
ソファから立ち上がりレディのお辞儀をしたあと、アリアはすぐに本題を投げかける。
「伯爵様は私を妻に、とお考えなのでしょうか?」
「ああ、そうだ。……うん、絵姿よりもさらに美しいな、きみは」
「お褒めいただき光栄です。でも――このお話はなにかの手違いなのです。私の父は結婚の話を知りません」
おそらく知らない、とは言わなかった。曖昧な言葉が避けるべきだと思った。説得力に欠ける。
「ロイド公爵は床に臥せっていると聞いた。そんなときに娘の結婚の話はできまい。私たちの仲が深まったあとで、公爵には話をつけよう」
「で、ですからっ……! 私は、伯爵様と結婚はできないのです」
「なぜだ?」
――だって、サディアス様のことが好きだから。
とはいえ彼は王太子殿下だ。結婚できるかはわからない。それならば一生、独身を貫いてもよいと思っている。
いままで、縁談の申し込みはすべて断ってきた。父には「愛する人と結婚するといい」と言われていたので、その厚意に甘えてきた。
「ほかに、想う人がいます」
伯爵は驚きと、そして不快感を露に眉根を寄せる。
「そうか……。だが、きっと私のことを好きになる。なあに、ゆっくりやっていこう。私はまだ執務があるから、そろそろ失礼する」
踵を返す伯爵にアリアは疑問を投げかける。
「私と伯爵様が結婚するとして、伯爵様に利はあるのでしょうか?」
辺境地とはいえレヴィン伯爵領は財政的にとても潤っている。公爵家の娘を娶ることになにかメリットはあるのだろうか。
「あるさ。妻がいれば、毎日が……いや、毎晩が楽しくなる」
伯爵の口もとが歪む。胸もとを見られているような気がした。
アリアはとたんにレヴィン伯爵が恐ろしくなった。
手が震えるのを抑えるためにギュッと握りこぶしを作る。
「それは、私でなくてもよいはずです。伯爵様を心からお慕いしてくださる方がほかにいらっしゃるはずです」
「いまはまだいない。これからきみが、そうなるんだ。では、また」
パタン、と閉まった部屋の扉を呆然と見つめる。アリアは目の前が真っ暗になったと錯覚した。
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(伯爵は、執務が立て込んでいると言っていたわね……)
このぶんでは今日じゅうに王とへ帰るのは難しそうだ。
陽が暮れた頃、レヴィン伯爵が部屋を訪ねてきた。
「ようこそ我が邸へ、レディ・ロイド。挨拶が遅れて済まなかった」
レヴィン伯爵は想像していたよりも若々しい男性だった。
「お招きいただきありがとうございます」
ソファから立ち上がりレディのお辞儀をしたあと、アリアはすぐに本題を投げかける。
「伯爵様は私を妻に、とお考えなのでしょうか?」
「ああ、そうだ。……うん、絵姿よりもさらに美しいな、きみは」
「お褒めいただき光栄です。でも――このお話はなにかの手違いなのです。私の父は結婚の話を知りません」
おそらく知らない、とは言わなかった。曖昧な言葉が避けるべきだと思った。説得力に欠ける。
「ロイド公爵は床に臥せっていると聞いた。そんなときに娘の結婚の話はできまい。私たちの仲が深まったあとで、公爵には話をつけよう」
「で、ですからっ……! 私は、伯爵様と結婚はできないのです」
「なぜだ?」
――だって、サディアス様のことが好きだから。
とはいえ彼は王太子殿下だ。結婚できるかはわからない。それならば一生、独身を貫いてもよいと思っている。
いままで、縁談の申し込みはすべて断ってきた。父には「愛する人と結婚するといい」と言われていたので、その厚意に甘えてきた。
「ほかに、想う人がいます」
伯爵は驚きと、そして不快感を露に眉根を寄せる。
「そうか……。だが、きっと私のことを好きになる。なあに、ゆっくりやっていこう。私はまだ執務があるから、そろそろ失礼する」
踵を返す伯爵にアリアは疑問を投げかける。
「私と伯爵様が結婚するとして、伯爵様に利はあるのでしょうか?」
辺境地とはいえレヴィン伯爵領は財政的にとても潤っている。公爵家の娘を娶ることになにかメリットはあるのだろうか。
「あるさ。妻がいれば、毎日が……いや、毎晩が楽しくなる」
伯爵の口もとが歪む。胸もとを見られているような気がした。
アリアはとたんにレヴィン伯爵が恐ろしくなった。
手が震えるのを抑えるためにギュッと握りこぶしを作る。
「それは、私でなくてもよいはずです。伯爵様を心からお慕いしてくださる方がほかにいらっしゃるはずです」
「いまはまだいない。これからきみが、そうなるんだ。では、また」
パタン、と閉まった部屋の扉を呆然と見つめる。アリアは目の前が真っ暗になったと錯覚した。