氷の王子は花の微笑みに弱い 《 第二章 06

 ――だめだ。なにを言っても聞き入れてもらえそうにない。
 アリアは頭を抱えてへなへなとソファに座り込んだ。
 メイドたちが「お加減が優れませんか」と声を掛けてくれる。

「平気よ、ありがとう。あの……伯爵様は、もしかして……」
「はい。好色でいらっしゃいます」

 彼女たちの主だというのにずいぶんはっきりと言うものだ。よほどひどい女好きなのだろう。そしてそのことを、メイドたちはよく思っていないのだ。

(なんとかして、王都へ帰らなくちゃ……!)

 しかし、伯爵は馬車を出してはくれないだろう。かといって逃亡のための金銭を伯爵からせびるのも気が引ける。

「少し、訊きたいことがあるのだけれど」

 そう言ってアリアはメイドに話を切り出す。

「このレヴィン伯爵領は自然豊かでとても素敵なところだと思うの。でも、王都もなかなかよいところなのよ。みんなは、王都へは行ったことがある?」

 年若いメイドは「王都へはまだ行ったことがありません」と答えた。すると中年のメイドが「私は行ったことがあります」とどこか得意げに言った。
 アリアはすかさず話題を掘り下げる。

「まあ、そうなの。王都へはどうやって行くの?」
「野菜を積んだ荷馬車に一緒に乗せてもらうのです。途中の町で売り子をしながら、王都まで行きます」
「あら、それは楽しそうね!」

 アリアは中年のメイドから詳しく話を聞く。荷馬車を出しているのは農家の夫婦で、野菜の売り子をするという交換条件で王都まで連れて行ってくれるらしい。中年のメイドは休みの日にときおりそうして王都へ行くのだという。

「私にも野菜の売り子をさせてもらえないかしら」
「まあ、お嬢様がですか!?」
「私には無理かしら」
「いいえ、そのようなことはございません。荷馬車を出している夫婦にご紹介することはできますが……もしやお嬢様は、王都へお戻りになりたいのですか?」

 アリアはコクコクと何度もうなずく。

「私はどうしても王都に帰らなければならないの。でも、伯爵様はあの調子だから、きっと馬車を出してはくれない……。あなたから荷馬車を紹介してもらったのだとはだれにも言わない。だから、お願い!」

 両手を胸の前で組んで頭を低くして頼み込むと、メイドは「お顔を上げてください」と言った。

「わかりました」

 メイドはカーペットの上にしゃがみ込んでアリアと目線を合わせる。

「正直なところを申し上げますと、伯爵様の女好きには辟易していたのです。名家のご令嬢と結婚しては手籠めにして泣かせ、挙句の果てには飽きたと言ってすぐ離縁なさる。その繰り返しなのです。伯爵様にはここらで一泡吹かせてやりましょう」

 中年のメイドはバチッと片目をつぶってみせる。
 アリアはパァッと表情を明るくさせて、部屋にいたほかのメイドたちに目配せをする。口もとに人差し指を立ててあたりを見まわせば、皆が笑顔でうなずいてくれた。


 翌朝早く、アリアは居室の円卓に伯爵へ宛てた謝罪の手紙を残して邸を出た。
 邸のメイドたちは好意的だった。皆が協力してアリアを邸の外へと逃がしてくれた。
 アリアは教えられた道を歩き、農家を目指す。

(見えてきた……。あれが荷馬車ね)

 小屋の前に、野菜を積んだ馬車が停まっていた。その傍らに恰幅のよい女性が立っている。

「あぁ、あんたかい。野菜の売り子をしたいっていう変わったご令嬢は」
「はい。今日は、よろしくお願いします」
「こりゃあ、べっぴんさんだ。野菜がよく売れそうだ」

 荷馬車で馬の手綱を握っている農夫が言った。アリアは農夫に向かってもう一度「よろしくお願いします」と挨拶する。

「あの……荷馬車に乗せてくださいと申し上げたのは私ですけれど、本当によろしいでしょうか。もしこのことが伯爵様に知れたら――」
「なぁに、平気さ。領主様は女癖は悪いが人柄はそこまで悪くない。もう長い付き合いだからわかる。あんたを荷馬車に乗せたくらいで罰を与えるような人じゃあないさ。それに、私らに罰を与えて畑が荒れたんじゃ税収が下がるしね」

 女性は「ははっ」と軽快に笑った。アリアを荷台に乗せ、農夫の隣に座って馬の手綱を取る。

「さあ、出るよ!」

 女性の一言で馬車が走りだす。荷台がガクッと大きく揺れた。

「ひゃっ」

 アリアは小さく叫んだあと、両手で荷台の端をつかんだ。そうして荷台にしがみついていなければ振り落とされかねない。

「しっかりつかまっておくんだよ! 落っこちても気がつかないからね!」
「は、はいっ」

 アリアは両手に力を入れて、指先が白くなるほど強く荷台の端を握り込んだ。

前 へ    目 次    次 へ