氷の王子は花の微笑みに弱い 《 第一章 01

 常に笑顔を絶やしてはいけないと、母は言っていた。


 湖上の城の目と鼻の先にロイド公爵邸はある。
 クーデルライト城に面する湖と同じ岸に建つ公爵邸は二年前に別棟が増築され、ロイド公爵とその夫人――後妻のシンディ――はそちら側に住んでいる。
 食事のときはたいていひとりだが、兄のパトリックが邸にいれば、彼とふたりで食卓を囲む。朝食は兄とともに取ることが多い。

「今日は殿下がいらっしゃるよ」

 白いテーブルクロスが敷かれた長机の向こう側でパトリックが言った。

「そうなのですか」

 アリアの笑みが深くなる。
 パトリックは六年ほど前から城仕えをしており、国の仕事に携わっている。いまでは王太子殿下――サディアスの側近のひとりである。
 食事を終えたアリアは自室で刺繍をしていた。
 彼はいつも通り部屋に寄ってくれるだろうかとソワソワしながら針を動かす。
 コン、コンッと部屋の扉がノックされた。
 アリアは訪ねてきた相手を確かめもせず元気よく「はい、どうぞ!」と入室を促してソファから立ち上がった。
 扉の前にいたメイドが笑顔で目配せをして、ゆっくりとドアを開ける。
 現れたのは、アリアが会いたいと希うその人だった。

「邪魔をする」

 クーデルライト国の第一王太子サディアスが悠然とした笑みを浮かべて部屋のなかへ入ってくる。
 サディアスと顔を合わせるのはもはや日常茶飯事だというのに、麗しい彼のことはいつまで経っても見慣れない。
 歩けばサラサラと揺れる金糸のような髪の毛。
 曇りなくどこまでも澄み切ったアイスブルーの瞳。
 顔の造作は文句のつけようがなく、体躯に至ってもそうだ。すらりとした長身で、その胸板は隆々としていてたくましい。
 彼はすべてが完璧な『王子様』なのである。
 サディアスがアリアの隣に座ると、メイドはすぐにふたりぶんの紅茶を淹れた。
 「下がっていい」というサディアスの一言で、メイドは深々と頭を下げて部屋を出て行く。
 そうして、彼とふたりきりになる。いつものことだ。

「刺繍をしていたのか」
「はい。……あまり上手くはありませんが」
「上手い下手は関係ない。それがきみのやりたいことなら、思う存分するといい。続けることも大切だと、俺は思う」

 アリアは大きくうなずいた。彼の言葉にはいつも背中を押される。
 指をどれだけ針で刺して痛い思いをしても――自身の壊滅的な不器用さに落胆しても――いつか亡き母のように素晴らしい刺繍ができるようになりたいという目標に向かって頑張ろう、という前向きな気持ちになる。

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