「私が差し上げられるものでしたら、なんでもお渡しいたします」
彼がなにを欲しているのか見当もつかなかった。それでもアリアはふたつ返事をした。サディアスに誠心誠意、応えたいと思った。
彼の手がおもむろに動く。ごつごつとした細長い指先が、唇に触れるか触れないかのところをすうっとたどった。
「きみの、唇」
アリアはきょとんとして、何度も瞬きをする。
唇は取り外せない。どうやって渡せばよいのだろうと――あとから思えば馬鹿げたことを――このときは真剣に考えていた。
はじめ、太陽が翳って部屋のなかが暗くなったのだと勘違いした。しかしそうではなく、視界が暗くなったのはサディアスの顔が間近に迫ったからだった。
唇同士がそっと触れ合う。
一瞬の、柔らかな感触。
アリアはずっと、目を開けたままだった。
「……嫌だったか?」
美貌の面≪おもて≫をうつむき加減にしてサディアスが訊いてくる。
アリアは小さく首を横に振った。
驚いたけれど、嫌ではなかった。むしろ、歓んでいる。
(嬉しかった、と言ったら……はしたないのかしら)
湧き起こったのは歓びと戸惑い。
結婚の約束をしているわけでもないのに、唇同士を合わせてよかったのだろうか。
「じゃあ、もう一回……」
「えっ!?」
アリアは組んでいた両手を胸の前に持ってきて肩を弾ませた。
サディアスは身をかがめ、戸惑うアリアの顔を下からのぞき込む。
「……イヤ?」
「……っ」
アリアはまたしても首を小さく横に動かした。振り幅は先ほどよりもさらに小さくなった。
「嫌、では、ないです……でも……」
――こんなことして、いいの?
思っていることを最後まで言えなかった。「嫌ではない」と告げたとたん、サディアスの表情がパッと晴れたからだ。
嬉しそうな微笑みを前して、なにも言えなくなってしまった。
左の頬に彼の手が添う。胸の前で組んでいた両手も、彼の片手に覆われる。
頬と手から感じる彼の温かさが、どうしてか体の端々を甘く疼かせる。
「アリア……」
まるで愛しい者の名を呼ぶように、うっとりとした声音で呼びかけられ、胸の奥がキュンッと疼く。
呼び返すべきかと悩んだが、気恥ずかしさと緊張で口がうまく動かなかった。そうしているあいだにまた唇が重なる。
「ん――」
彼の手が触れている頬と両手の甲がカァッと熱くなったような気がした。
サディアスの唇が、ほんの少しだけ遠のく。遠くなったといっても、ふたりのあいだは紙一枚ほどで、依然として近い。
アイスブルーの瞳が何事か訴えかけてくる。