序章お試し読み

 ――物心がついたころから俺には夢があった。
 広大なジャーヴィス侯爵領には未開の地が多数ある。だから、古代人が暮らした痕跡がどこかに絶対にあるのだと信じてやまなかった。
 侯爵邸の書庫にこもり、子どもなりに歴史書を調べ上げ、遺跡があると思われる場所にあたりをつけた。
 父親譲りの艶やかな茶色い髪に、母親そっくりなガーネットの瞳を持ち合わせた端正な顔立ちのレジナルド・ジャーヴィスが夢を語ればだれもが「素敵ですね」と誉めそやす。
 ジャーヴィス侯爵の嫡男、レジナルドの言うことだ。たとえ、社交界デビューしたての十五歳であっても、初老の侯爵に代わって早々に爵位を継ぐであろうレジナルドには皆がいい顔をする。
 ――だが俺は知っている。陰でだれもが「遺跡なんてない、見つかりっこない」と言っていることを。
 それでもレジナルドは夢を語り続けた。口に出していなければ、あきらめてしまいそうになるからだ。
 ある日の昼下がり、ジャーヴィス侯爵邸のサロンでティーパーティーが開かれた。侯爵と親交の深い貴族を集めた小規模なものだ。そこには小さな子どもたちも多く集まっていた。
 暖かな陽が射し込む窓際で、輪になって座る子どもたちに向かって、十五歳のレジナルドは大人ばかりの茶会でするのと同じように夢を語った。

「――そんなの、ぜったいみつかりっこないよ!」

 子どもとは正直なものだ。予想していたとおりの答えが返ってきた。
 だが、そうしてまっすぐに否定されればよけいに燃えるというものだ。
 といっても相手は十歳くらいの男の子だ。あまりムキになるのもどうかと思うので、やんわりと反論しようと口を開きかけると、

「ぜったいみつからないなんて、どうしてわかるの?」

 丸椅子から立ち上がり、憤然と異を唱えたのは年端のいかぬ少女だった。
 そこにいた子どもたち全員が彼女を見る。
 フェラー男爵令嬢、エステル。これまでに何度か顔を合わせたことがある。

(たしか、彼女に夢を語ったのははじめてだった)

 エステルは小さな両手にこぶしを作り、エメラルドグリーンの鮮やかな瞳を爛々と輝かせながら言う。

「さがしてみなくちゃ、わからないわ!」

 その意気込みに押されて、その場にいた子どもたちだけでなくレジナルドまでもがコクリとうなずいた。

「レジナルドさま、もっとくわしくきかせてください」

 エステルは身を乗り出し、興味津々といったようすでレジナルドに迫る。

「あ、あぁ……」

 夢を語って、こんな反応をされるのは稀なので少々面食らってしまう。
 あたりをつけている遺跡の場所やその根拠を説明すると、エステルは真剣な表情で聞いてくれた。
 八歳の彼女には難しい説明もあったと思う。理解できず、金色の髪を揺らして首を傾げる場面もあった。
 それでもレジナルドは嬉しかった。相手は七つも年下だというのに、ともに夢を追う同士を見つけた気分になった。
 それ以来、レジナルドは度々エステルを侯爵邸に招いて、古代人がどのように生活していたのか、侯爵領の変遷についてなど、多岐に渡って勉学に励んだ。
 エステルは歴史や考古学にたいへんな興味を示し、事細かに、貪欲に学んでいった。聞けば、彼女の父親であるフェラー男爵がそういったことが好きで、侯爵領内にある博物館や史跡へ男爵とともによく赴くのだという。

(妹がいたらきっとこんな感じなのだろう)

 レジナルドには二歳違いの弟がいた。仲はそれなりによかったが、エステルと過ごす時間のほうが自然と長くなっていった。
 レジナルドとエステルが夢を語り合って六年が過ぎた。
 ふたりはあいかわらず、ともに夢を追って頻繁に顔を合わせては遺跡について話し合った。ときには国外から専門家をまじえて談義することもあった。
 ある日、レジナルドはエステルが書庫に忘れ物をしていることに気がついた。
 いや、厳密に言えばそれは侯爵家が所有する書物なのだが、彼女が一日のうちに読み終わらなかったので、貸し出すと告げたのに結局、置き忘れていってしまった。

(……届けにいくか)

 もう陽が沈んで久しいが、レジナルドはフェラー男爵邸へ書物を届けることにした。
 馬車に乗り込み、車窓から夜道を眺める。男爵邸へはみずから行かずとも使用人に頼めばよいものを、どうしてか無性に彼女の顔を見たくなった。

(ついさっき、会ったばかりなのに)

 しかし、最近はそういうことがよくあるのだ。なぜだろう、と疑問に思いながら馬車に揺られる。
 男爵邸に着くと、夜中にもかかわらず快くエステルの私室に通された。

「レジナルド様、申し訳ございません! あぁ、でもよかった……読みたくてうずうずしていたのです」
「そうだろうと思った」

 得意げに言いながらレジナルドはエステルに書物を手渡す。彼女はネグリジェ姿だった。急な来訪なので気を遣わなくていいと、先ほどこの邸の家令に言ったからだ。
 レジナルドはソファに腰を下ろし、部屋のなかをぐるりと見まわした。
 水色や淡いピンクなど、パステルカラーの小物が多い。彼女らしい部屋だと思った。
 男爵家のメイドがティーワゴンを運んできた。紅茶を淹れてローテーブルの上に差し出す。メイドはそのまま壁際に控えていたが、レジナルドが「下がっていい」と言うと、深々と首を垂れて部屋を出ていった。
 エステルは紅茶を淹れたメイドに「ありがとう」と礼を述べていたものの、ティーカップには手をつけず、レジナルドが持ってきた書物を読みふけっている。
 となりに座るエステルを横目に見ながらレジナルドは紅茶を飲んだ。
 ――俺はなぜ「すぐに帰る」と言わなかったのだろう。
 まだ十四歳とはいえ女性の私室には違いないのに、メイドを下がらせて紅茶を飲み、居座っている。
 書物を届けて、すぐに帰ろうと考えていた。それなのに、エステルの嬉しそうな顔を見ていたら「帰る」とは言い出せなくなって、ソファに腰を落ち着けてしまった。
 となりを見ると、エステルが首を傾げていた。

「どうした?」
「ちょっと、この記述がよくわからなくて」
「見せてみろ」

 ふたりは同時に身を乗り出す。

(ん――?)

 腕に、なにか柔らかいものが当たっている。
 レジナルドははじめ、それがなんなのかわからなかった。

「……っ!」

 エステルを見下ろしたレジナルドは息を詰めた。
 腕に当たる柔らかなものの正体を、ついジィッと見つめてしまう。

「……レジナルド様?」

 呼びかけられてはじめて、彼女の胸に釘付けになっていた自分に気がついた。

「あ……すまない」

 声が上ずってしまったことを、エステルは変に思わないだろうか。

「なにが、わからないんだ」

 ドクドクと高鳴るこの心臓の音を、エステルに悟られないだろうか。

「ええと、この一文です」

 彼女の細長い指が書物の上をスルスルとたどる。
 エステルのふくらみのひとつはいまだに腕に当たったままだった。
 ふだんから、こうやって身を寄せ合って話をすることはよくある。しかしいま、彼女はドレスではなくネグリジェだ。きっと、ドレスのときよりも格段に無防備なのだ。

「これは、だな……」

 彼女の胸を意識してはいけないと思いながらも、ついそちらにばかり気を取られて、説明がおろそかになる。

「レジナルド様……? もしかして、ご気分が優れませんか!?」

 エステルが顔をのぞき込んでくる。間近で見る彼女の肌はきめ細やかで、唇はみずみずしくふっくらとしていた。

「――っ、ああ、じつは……少し」

 レジナルドは顔を背けながら言った。するとエステルはとたんに悲痛な面持ちになって、

「それは、本当に申し訳ございませんでした! お引き止めしてしまって」

 彼女が立ち上がったので、レジナルドもそそくさとソファから立つ。

「ではまた。見送りはいい」

 そうして、ろくに顔も見ずにレジナルドはエステルの部屋をあとにした。

(いったいどうしてしまったんだ、俺は……)

 エステルのことは妹のように思っていた。同じ夢を追う同士でもある。

(ネグリジェ姿が、見慣れないせいだ)

 そうに決まっている。抱きしめて全身の肌の柔らかさを確かめたいなどと思ってしまったのは、一瞬の気の迷いに違いない。
 ところがそれ以来、エステルの身体をやけに意識するようになった。
 彼女のいろいろなものの大きさを目測している自分に驚き、嫌悪する。
 いっぽうでエステルはレジナルドのそういった変化に気がついていないようだった。いつも笑顔を絶やさず、楽しそうに話をしてくれる。
 レジナルドは悶々とした思いを抱えながらも、必死にそれを押し殺した。少女に手を出すつもりはなかったし、万が一なにかあれば彼女はもう、同じ夢を追ってはくれないかもしれない。そう思うと、とたんに恐ろしくなった。
 ――エステルを、失いたくない。


「もうすぐ社交界デビューだろう。俺がエスコートしてやろうか」

 書庫で本棚の整理をしながら話を振ると、エステルは「はい、ぜひ! よろしくお願いします」と快諾してくれた。

(やっと、十五歳か……)

 この一年がとても長く感じた。自分自身が妙な行動を起こさぬよう、エステルとふたりきりで会うのはなるべく避けていた。
 エスコート役を断られなくて本当によかった。そうでなければ、彼女のそばにいる理由がない。
 夜会はいわば野獣の巣窟だとレジナルドは考えている。
 浮名を流す貴族の雄どもから、なんとしてもエステルを守らねばと、なかば義務感を持ってレジナルドはフェラー男爵邸へ向かった。
 エスコート役という大義名分のもと、レジナルドはダンス・ホール横の控室に入る。

「レジナルド様! お越しいただきありがとうございます」

 迎えてくれた女性がいったいだれなのか、頭ではわかっているのに――まるで知らぬ者のようで――すぐには言葉を返すことができなかった。
 いつもは肩や背に流れている金の髪が編み込まれてまとまっている。それだけでずいぶんと印象が違う。
 パステルカラーのドレスはじつに彼女らしいと思う。肌の白さやなめらかさがいっそう際立っている。
 翡翠色の純粋な瞳が見つめてくる。
 レジナルドは己の頬に熱がこもるのを感じた。

「いや……その……」

 『きれいだ』と、言いたいのに言えない。気恥ずかしさが邪魔をして、言葉が出てこない。
 内心あわてふためくレジナルドをよそにエステルはにっこりとほほえむ。

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