氷の王子は花の微笑みに弱い 《 序章 04

 サディアスとアリアが密かに逢瀬を重ねるようになって一年が過ぎた。
 城仕えをするパトリックや、ロイド公爵に会ったあとは必ずアリアの部屋を訪ね、いろいろな話をした。仕事でパトリックたちを訪ねるというよりも、アリアに会うことが目的の日も多々あった。
 サディアスはいつものように、パトリックと二言、三言話をしたあとでアリアのもとへ向かった。

(出先から戻ってきたばかりと言っていたが――)

 外出先は墓地に違いない。パトリックは全身、黒い服を着ていた。
 アリアの部屋の前に着く。扉は三分の一ほど開いていた。
 いけないだろうかと思いながらも部屋のなかをうかがう。
 部屋の隅。影に重なるようにして、黒いドレス姿のアリアがたたずんでいる。
 手元のハンカチに視線を落とし、なにやら思いつめた顔をしている。
 ドクッと大きく胸が鳴った。
 彼女が手にしているハンカチは、おそらく遺品だろう。
 ――彼女の笑顔の裏には、いつも哀しみがあったのだ。
 そのことを痛感した。いたたまれない気持ちになった。
 ノックをしてよいものか迷った。しかし、あんな顔をしている彼女を、どうしても放っておくことができなかった。
 サディアスはゆっくりとドアをノックする。
 ハッとしたようすでアリアが顔を上げ、先ほどまでの悲痛な面持ちを一瞬でかき消してこちらへ近づいてくる。

「サディアス様、いらっしゃいませ。申し訳ございません、まだ着替えもしておらず……」

 黒いドレスの裾を撫でつけながらアリアは目を伏せる。
 両手が勝手に動いて、彼女を腕のなかに閉じ込める。

「……っ! サディアス、様……?」

 ぎゅうっと抱きしめても、アリアは少しも抵抗しなかった。
 サディアスは目を閉じる。

「俺はいま、きみを見ていないから。笑顔でなくてもいい」

 彼女がどんな顔をしているのか、視界を閉ざしているのでわからない。
 しばらくすると、すすり泣くような声がかすかに聞こえてきた。
 サディアスはアリアの細い体を、いっそうきつく抱きすくめた。


 アリアが十六歳になったとき、ロイド公爵は後妻を娶った。
 公爵が再婚してすぐ、邸は増築され別棟が建った。新築された棟には公爵と、それから後妻のシンディという女性が住んでいるという。
 アリアとパトリックの居室が本棟から移されることはなかった。

「――新築された棟には一度も立ち入ったことがない?」

 サディアスは眉間に皺≪しわ≫を寄せてアリアに尋ね返した。

「……はい」

 哀しそうに笑うアリアに、その理由を聞けるはずもない。
 アリアの部屋を出たサディアスはその足でふたたびパトリックのもとを訪ねた。
 もう一度、訪ねてくるとは思っていなかったらしいパトリックは「どうされたのですか」と目を丸くした。
 メイドの給仕を断り、パトリックとふたりきりで話す。

「アリアもおまえも、新築された棟には一歩も足を踏み入れたことがないと聞いた。理由はなんだ?」
「ああ、そのことですか」

 向かいのソファに座るパトリックはモノクルの端をクイッと上げて渋面を浮かべた。

「継母の言いつけです。新婚気分を楽しみたいから、僕たちのことを視界に入れたくないそうです」

 サディアスもまた、パトリックと同じく眉間の皺≪しわ≫を濃くする。

「それは、おまえたちの心持ちをないがしろにした身勝手な考えだ」

 サディアスが憤ると、パトリックは「お心遣いありがとうございます」と言ったあとで軽快に笑った。そういう、哀しみを含んだ笑顔になると彼ら兄妹はよく似ている。

「いいんです。こちらとしても、気兼ねなく過ごせますし。殿下も、これまで通りアリアにお会いできるでしょう?」
「それは、そうだが」

 言葉を切って黙り込み、顎に手を当てて窓の外を見やる。
 頭のなかに浮かんだのは、先ほどのアリアの笑顔。
 彼女の微笑みは花のようだ。
 どこか、儚い。

前 へ    目 次    次 へ