野菜を売りながら王都へ着く頃にはすっかり陽が暮れていた。
人生ではじめての野菜売りは楽しかったが、板張りで揺れの激しい荷台での旅路は思いのほか辛く、お尻が痛んで仕方がなかった。
アリアは汚れたドレスの尻をさすりながら歩き、リトルフ侯爵邸を訪ねる。
自邸には帰れない。兄のパトリックが不在のいま、邸へ戻ったところでレヴィン伯爵のもとへ送り返されてしまうに違いない。
「夜分にごめんなさい……。しばらく、泊めてもらえないかしら」
リトルフ侯爵邸の玄関先で、バーサは口をあんぐりと開けて驚きを露にする。
「ちょっと、いったいどうしたのっ? どうしてそんなにボロボロなの!」
「いろいろあって……。公爵邸には帰れないの」
バーサは眉間に困惑の皺≪しわ≫を寄せてこくりとうなずく。
「わかったわ。とにかく入って」
「ありがとう、バーサ」
アリアはお尻に手を当てたまま礼を述べてリトルフ侯爵邸へ入る。
ゲストルームのソファに腰掛けたアリアは「あぁ」と感嘆した。
「なんて座り心地のいいソファなの……!」
「そ、そう? よくわからないけれど……苦労したみたいね」
苦笑するバーサをよそに、メイドが淹れてくれた紅茶を、はしたないとは思ったが一気に飲み干した。するとすぐにまたメイドが温かい紅茶を足してくれる。
たった一日だけれど野菜を売るという仕事を体験して、働くことの大変さが身に染みた。
日夜尽くしてくれるメイドたちには感謝の気持ちを込めてアリアは「ありがとう」と言ってまた紅茶を飲んだ。
「――なんですって!?」
昼下がりのサロンにバーサの憤然とした声が響く。
馬車に詰め込まれてレヴィン伯爵領へ行ったこと、そこから荷馬車に乗って帰ってきたことを話すとバーサは美しい顔を惜しげもなく歪めて怒りを露にした。
「シンディ様はなんてひどいことをなさるの! それもこれも、きっとパトリック様がご不在だからだわ」
そう言われてみれば、兄のパトリックがこれほど長く家を空けるのははじめてだ。
「サディアス殿下とパトリック様が帰国なさるのは明日だったわよね? お城に手紙を出しておきましょう。あなたはここにいるって伝えておかなくちゃ、パトリック様がご心配なさるわ。ロイド公爵邸に出しても、シンディ様に握りつぶされかねない」
彼女の言う通りだ。シンディはアリアがバーサと懇意にしていることを知っている。
バーサの指示で侯爵邸のメイドが紙とペンを持ってやってきた。アリアはサディアスに宛てて手紙をしたため、侯爵邸の執事に預けた。
「それにしても、殿下の愛妾になりたいとおっしゃるなんて……シンディ様はある意味、肝が据わっているわね」
呆れたようすでバーサはティーカップの紅茶をすする。
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人生ではじめての野菜売りは楽しかったが、板張りで揺れの激しい荷台での旅路は思いのほか辛く、お尻が痛んで仕方がなかった。
アリアは汚れたドレスの尻をさすりながら歩き、リトルフ侯爵邸を訪ねる。
自邸には帰れない。兄のパトリックが不在のいま、邸へ戻ったところでレヴィン伯爵のもとへ送り返されてしまうに違いない。
「夜分にごめんなさい……。しばらく、泊めてもらえないかしら」
リトルフ侯爵邸の玄関先で、バーサは口をあんぐりと開けて驚きを露にする。
「ちょっと、いったいどうしたのっ? どうしてそんなにボロボロなの!」
「いろいろあって……。公爵邸には帰れないの」
バーサは眉間に困惑の皺≪しわ≫を寄せてこくりとうなずく。
「わかったわ。とにかく入って」
「ありがとう、バーサ」
アリアはお尻に手を当てたまま礼を述べてリトルフ侯爵邸へ入る。
ゲストルームのソファに腰掛けたアリアは「あぁ」と感嘆した。
「なんて座り心地のいいソファなの……!」
「そ、そう? よくわからないけれど……苦労したみたいね」
苦笑するバーサをよそに、メイドが淹れてくれた紅茶を、はしたないとは思ったが一気に飲み干した。するとすぐにまたメイドが温かい紅茶を足してくれる。
たった一日だけれど野菜を売るという仕事を体験して、働くことの大変さが身に染みた。
日夜尽くしてくれるメイドたちには感謝の気持ちを込めてアリアは「ありがとう」と言ってまた紅茶を飲んだ。
「――なんですって!?」
昼下がりのサロンにバーサの憤然とした声が響く。
馬車に詰め込まれてレヴィン伯爵領へ行ったこと、そこから荷馬車に乗って帰ってきたことを話すとバーサは美しい顔を惜しげもなく歪めて怒りを露にした。
「シンディ様はなんてひどいことをなさるの! それもこれも、きっとパトリック様がご不在だからだわ」
そう言われてみれば、兄のパトリックがこれほど長く家を空けるのははじめてだ。
「サディアス殿下とパトリック様が帰国なさるのは明日だったわよね? お城に手紙を出しておきましょう。あなたはここにいるって伝えておかなくちゃ、パトリック様がご心配なさるわ。ロイド公爵邸に出しても、シンディ様に握りつぶされかねない」
彼女の言う通りだ。シンディはアリアがバーサと懇意にしていることを知っている。
バーサの指示で侯爵邸のメイドが紙とペンを持ってやってきた。アリアはサディアスに宛てて手紙をしたため、侯爵邸の執事に預けた。
「それにしても、殿下の愛妾になりたいとおっしゃるなんて……シンディ様はある意味、肝が据わっているわね」
呆れたようすでバーサはティーカップの紅茶をすする。