氷の王子は花の微笑みに弱い 《 終章 01

 メイドたちに「これがなんに見える?」と訊いても「ブタ」や「イヌ」と言われ続けてきたが、ようやく、だれに訊いても「ネコ」だと言ってもらえるようになった。
 真っ白なハンカチの片隅に黄色い糸で刺繍した模様をアリアはあらゆる角度から確認した。

(うん、大丈夫!)

 これならどこからどう見ても、猫だと認識できる。豚や犬だとは言われまい。

(いつお渡ししよう……?)

 アリアは刺繍したハンカチをサディアスにプレゼントするつもりでいた。しかし、このところ互いに多忙で、すれ違ってばかりなのだ。
 王城に居室をあてがわれたアリアは王太子妃教育に明け暮れていた。いっぽうでサディアスは通常の公務に結婚の準備まで加わりてんてこ舞いしているようだった。
 刺繍はもともとの趣味だが、彼と会えない寂しさを紛らわす役目も担っていたように思う。

(喜んでくださるといいけれど)

 アリアは猫の刺繍をそっと指でたどり、サディアスの笑顔を頭のなかに浮かべて思いを馳せた。


 両端にそびえ立つ双塔と、その塔に負けぬ存在感を放つ大きなばら窓が中央に配された大聖堂は歴史的な趣を感じるとともにあまりの荘厳さに圧倒される。
 ロングトレーンのウェディングドレスが天窓から射し込む光に照らされて白く煌く。王太子然と盛装したサディアスと並び立つ姿にはだれもが「似合いだ」と漏らして息をついた。まばゆいばかりの無数のクリスタルモチーフがふたりを祝福する。
 アリアとサディアスの挙式が行われる聖堂内には大勢の参列者が集った。
 参列した人の多さにも圧倒されながら、アリアは神の御前でサディアスへの愛を誓い、彼もまたそれを返した。
 誓いのくちづけはいささか長く感じた。神父がごく小さな声で咳払いをしたので、きっと通常よりもくちづけている時間が長かったものと思われる。
 挙式、晩餐会と慌ただしく過ごし、アリアは白いナイトドレスに身を包んで初夜を迎える。

(結局……渡せずに夜になってしまった)

 猫の刺繍をしたハンカチを、ベッド脇の引き出しにしまう。なかなか渡せずにいたせいか、麗しの王太子殿下の持ち物として猫の刺繍はどうだろう、と思い至ってしまった。
 アリアがソファに座ろうとしていると、王太子の寝室と続き間になっている内扉がコンコンとノックされた。その扉を叩く人はひとりしかいない。
 慌ててお尻を持ち上げて「はい、どうぞ」と入室を促す。

「すまない、遅くなった」

 寝衣にナイトガウンを羽織ったサディアスが部屋に入ってくる。その姿を目にしただけでアリアの胸はトクッと高鳴った。

(いまからこんなに意識していたのでは、心臓がもたないわ)

 アリアはこっそりと深呼吸をして自身を落ち着かせる。

前 へ    目 次    次 へ